製缶技術の変遷・金属缶の歴史 HISTORY

Introduction はじめに

詰の誕生は、フランス革命とナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte)と深く係わりがあるといわれている。
フランス革命は1789年7月14日バスティーユ牢獄攻撃を皮切りに火ぶたが切られた。
1792年に王政を廃止し国民公会が召集されると共和体制が樹立され、新しい総裁政府は周辺諸国への戦線を拡大し、すでに数々の輝かしい戦歴を重ねてきた若きナポレオン・ボナパルトは、イタリア、オーストリア、エジプト遠征で指揮をとりフランス軍を勝利に導いていった。外国遠征で東奔西走し戦闘に明け暮れるナポレオン・ボナパルトは、栄養豊富で新鮮・美味の兵食を大量に確保することが兵士達の士気の維持、高揚に不可欠と考え、総裁政府に軍用食糧貯蔵法の研究を要求する。 当時の食物貯蔵は、塩蔵、薫製、酢漬けを中心としているため、味が悪いだけでなく腐敗も多かった。
政府は兵食の長期貯蔵に関する研究委員会を設置し、公募を行った。


1804年に、ニコラ・アペール(Nicolas Appert)は、ガラスびんの中に食物を入れ密封し加熱殺菌して保存する新食糧貯蔵法を発明した。
「広口ビンに調理しておいた食品を詰め、コルク栓をゆるくはめる。次に湯せん鍋に入れ沸騰点において30-60分加熱する。びんの空気を駆除した後にコルク栓で密封する」。この貯蔵法で1806年に数種類のびん詰を船に積み、赤道を横断し温度、湿度の変化する条件で輸送試験を行ったところ、船長、海上提督から極めて高い評価が得られた。海軍にとって最大の災禍であった壊血病防止に役立つために、塩蔵品に代わって食糧に採用された。 当時のフランスの新聞「ヨーロッパ通信(1809年2月1日付け)」に下記内容の記事が掲載されている。
「アペールは季節を容器に封じ込める技法を発見した。この技法を使えば、季節に影響なく、春夏秋がびんの中で訪れ、農産物が畑のある状態で保存できる」
ニコラ・アペールは1749年にパリ東方約130kmのシャロン・シェール・マルヌで生まれ、漬物業、菓子製造業料理店、醸造業などを経験していたが、政府の長期貯蔵法の募集に応募するため、新鮮な果実、肉、魚、調理品などを使用して試行錯誤を重ねた。「真空詰めした食物は殺菌加熱すれば長く保存できる。加熱が偉大な自然殺菌者である。如何なる防腐剤も殺菌剤も熱にはかなわない」 という発見のもとで、缶詰の基本原理を発明した。
フランスの内務大臣は、委員会の答申に基づきニコラ・アペールに12,000フランの賞金を授与する際に、研究成果を纏めた著書200部の提出を要求した。1810年6月にニコラ・アペールの 「全ての家庭への本すなわちあらゆる食品を数年間保存する技術(LE LIVRE DE TOUS LES ME´NAGES, OU L’ART DE CONSERVER, PENDANT PLUSIEURS ANNE´ES TOUTES LES SUBSTANCES ANIMALES ET VE´GE´TALES)」が出版された。アペールの著書は直ちにドイツ語、英語、スウェーデン語に翻訳され、同年8月25日には英国のピーター・デュランド(Peter Durand)がブリキ缶による食品の貯蔵法および蓋をする容器に関して特許を取得した。この発明品をチン・キャニスター(Tin Canister)と命名したが、今日のキャン(Can)という語はこのキャニスター(Canister)が省略されたもので、また缶という語はこの音訳語である。

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